証し M・O兄

 私は日本人の両親の元にブラジルで生まれ、育ちました。
 子供のころから私は母にいつも、私の家の宗教は何か、そして神様はどこにいるのかと尋ねていました。10年間カソリックの学校に通い、イエスキリストのこと、マリア様のことを学んでいたので、神や宗教のことについてとても興味があったのです。
 私の家族には特別な宗教がなかったので、私は多くの友達が信じているカソリックを信じたいと思うようになりましたが、母は"あえて特別な宗教を信じる必 要はないよ。なぜならどんな宗教も歩む道は違うかもしれないが、頂上にたどりつけば同じ神様を見つけられるのだから。"と言うばかりでした。
 16才のとき友人からキャンプに誘われました。
 テントの中で眠り、サッカー、BBQ、ブッシュウォーク、かわいい女の子とも知り合えると聞き、なんて楽しそうなのかと思い両親に許可をもらい参加しました。
 しかしそれはプロテスタントのクリスチャンのキャンプであり、私はほとんどの時間を聖書の勉強と、クリスチャンソングを歌って過ごしたのです。(もちろ ん友人はこの事を知っていました。)しかし私はこのとき、私たちの罪をあがなうためにイエス様がこの世に来てくださり、私が心を開けばイエス様が自分と共 にいてくださると強く感じることができたのです。しかしまだ楽しむことが優先で100%クリスチャンとして生きたわけではありませんでした。
 私は17才になって洗礼を受けましたが、イエスキリストを受け入れてからずっと心の中に苛立ちを抱えていました。それは自分の性格と信仰の弱さが原因だと思っていました。
 一人でじっくりと考えたくて、3ヶ月ほど人を避けて農場の中にある全寮制の学校の宿舎に入り、神に"私は何をしたらいいのか?どうするべきなのか?"と問いかけました。
 クリスチャンであるのなら天使のように聖くなければならないのに、自分はまだなれない。いつなれるのだ。という思いに苦しみ、そしてもっと強く神の臨在を感じたいと求めましたが結局私は確かな答えが見つけられませんでした。
 そして19才のとき希望と冒険心を抱いて日本に移り住むことにしました。
 日本に行ってからも日系クリスチャン教会で、ポルトガル語での礼拝を受けていましたが、ある時ブラジルに一時帰国したとき、ホーリネス教会の少年グルー プのリーダーに、自分の悩みや葛藤(かっとう)を話すと、彼は一度神から完全に離れて生活をしてみるのもいいかもしれない。そのとき本当の神のすばらしさ に気づくかもしれない。と、言ったのです。
 そのことが頭からはなれず、しばらくして私は神から離れました。
 約10年間私は神から離れていましたが、その間よくない出来事が何度もありました。
 2度も警察の記録に残り、私は落ちに落ちていきました。
 私はやはり自分の生き方は間違っていると思い、1年間オーストラリアで過ごした後、ブラジルに帰り再び神と共に生きようと決めました。
 しかし神はすでにプランを用意しておられました。
 神は私に自分の罪を全て見せ、残りの日本での生活を変えてしまいました。
 私はそうしてもらわなければ本当に自分の罪が見えなかったのです。
 オーストラリアに渡る9ヶ月前、32才の私は、まず水疱瘡にかかり大変な思いをしました。
 飲酒で運転免許を失いました。
 汚いお金をくだらないことに使い失いました。
 社長と個人的な問題を起こして職を失いました。
 彼らは私をつぶそうとし私の車はつぶされました。
 ほかにも恥ずべきことが、3ヶ月にわたり集中して次々に起こりました。
 神はこの私の厚く汚れた罪を、鉄のスポンジで洗い流そうとしてくださっているのだと思いました。
 私は神の前に再び悔い改めたいと思いましたが、こんな自分を神は赦してくれるのかとても不安でした。何度も何度も教会の前まで行き、中に入れないで家に帰る日が続きました。
 ある日私は彼の家に戻りました。新城のある教会に通い始め、主との交わりを再び持つことができたのです。それは本当に喜びでありました。神は私を受け入れてくれたのです。
 それから熱心に教会に通いました。
 私はこの大変な時期を与えてくださった神に心から感謝しています。
 私は若いころクリスチャンになりましたが、15年以上かけて本当のクリスチャンとは何かを知ることができました。
 もちろんまだ氷山の一角ほどしか理解はしていませんが、神の偉大さについて語ることはできます。この私の経験はあなたに置き換えることはできませんが、あなたにはあなたの人生の中で神のすばらしさを知ることができると信じています。
 "人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。" マタイの福音書16章26節
 "もしあなた方が心を尽くしてわたしを捜し求めるなら私を見つけるだろう。"エレミア書29章13節
 "あなたがたのうちによい働きを始められた方は、キリスト イエスの日がくるまでにそれを完成させてくださる事を私は固く信じているのです。"ピリピ人への手紙1章6節

神の慈愛  by L・P(信徒) 2006年2月26日バイリンガル礼拝にて

 皆さんこんにちは。
 これからわたしのあかしをしたいと思います。
 神様がわたしたちの結婚に際しどのように祝福してくださったか、またその後どのような祝福があったかをお話しします。神様との出会いについて主に話したいと思います。
 最初に短くお祈りします。
「イエス様このあかしをあなたに捧げます。このあかしを祝福し、あかしを聞くことによって人々が祝福されるようにしてください。その結果人々が救いに導かれますように」

 あかしの最初に聖書の個所を読みます。ヨハネ3章16,17節です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」
 この聖書個所をお読みしたのは、自分がした悪い事に焦点を当てるのではなく、そのことが自分を救いに導いたということを知ってもらいたかったからです。
 わたしが子どものころは、家庭はとても困難な中にありました。わたしが5歳のとき母親は子どもを育てるのにとても苦労していました。それで母は、4人子 どもを施設において、出て行ってしまったのです。父はその後、再婚しました。その結果、家族は11人になりました。父は最初の結婚で4人の子どもをもうけ ていましたし、再婚相手の女性には2人の子どもがいました。再婚後3人の子どもが加わり、そのうちの2人は双子でした。ですが、その再婚もあまりうまくい かなくて、父は傷つき落ち込んでしまいました。その結果、父は自殺を試みましたが、幸いにも命は取り留めました。
 わたしは、1994年9月に救われました。その6ヶ月前は人生の中でとてもつらい時でした。わたしはすごく落ち込んでいたので、家族の誰とも連絡を取っ てない状態でしたし、母親に対しても、もうあなたと付き合いたくないとも言っていました。そう言うことがあったので家を出て、誰か他の人と住みたいと思っ ていました。そして、ここの近くでもありますが、フロリダガーデンにシェアーハウスを見つけました。
 そこは、何とクリスチャンだけで占められていたシェアーハウスでした。彼らは、神様の愛についてあかししてくれました。
 2,3年前に、母親がクリスチャンになっていましたが、その母と牧師さんが家族の事について祈っていました。その時母は家族の中でただ一人のクリスチャンでした。
 クリスチャンになる3日前に、2人の兄弟と従兄弟と一緒にパブに居ました。その兄弟は自分の家族の中で付き合いのある唯一の兄弟でした。その時、その兄 をからかったために殴られてしまいました。兄弟とはいい関係を保っていなかったわけですが、わたしの兄は、とても怒りやすい気質の人でしたが、5年前彼は 車の事故にあって、その結果とても暴力的な人になってしまいました。パブで兄が2回ほど殴ってきたので、鼻の骨が折れそうになってしまいました。自分を守 る為に、兄の頭をヘッドロック(頭を自分の脇に抱え込んで)しておとなしくさせなければなりませんでした。わたしの家族はクリスチャンではなく救われてい ませんでしたので、このようなことも起こったわけです。
 その後家に帰って、悲しくまた裏切られたような思いを抱きました。その夜、わたしは自分の罪を確信しました。兄とけんかをしたことで罪を確信したわけで す。罪を認めるという体験は、人生の中で初めて起こったことでした。罪を認めることは、クリスチャンや家族のものが祈ってくれたから起こるということを知 りました。
 フラットメイトの人が「教会に行かないか?」と聞いてくれたので、「ハイ行きます」と答えました。その時までのわたしの人生はとてもひどいものでしたの で、教会に行く事によって何も失うものはないと思ったからです。そのシェアーメイトたちを見ていて、その人たちの中に愛や喜びや平安があるということを感 じていました。そしてそれが自分にも必要だと感じていました。
 1カ月間彼らを見ていて、彼らが教会から帰ったきた時、いつでも喜びに満たされていると感じていました。彼らはけんかもせず仲良くやっていましたが、それはわたしにとってとても珍しいことでした。教会に行って聞いた牧師さんの話は論理にかなったものでした。
その時に神様がわたしを愛してくれて、許してくださり、わたしを受け入れてくださっていると知りました。
 聖書、ローマ人への手紙2章4節「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」
 神様は自分に対して寛容であり、またなお寛容であります。
 わたしが救われた後、神様はわたしの家族にも素早く働いてくださいました。
 次の日に自分の兄弟に連絡をとらなければならないと感じました。自分の悪かった事について許しを請いましたし、また、兄弟を許すということも言いました。
 それから、神様は、実母に連絡を取るようにと言われました。母に対しても、自分の悪かった事を謝り、また母自身も許してくれるようにと言いました。
 その時は、人を許す事は簡単にできました。それは神様が下さったものでした。許す時、自分がどれだけ神様から許されているかを考えると人も簡単に許すことができます。
 その2,3カ月後にお父さんの元を訪れなければならないと強く感じました。
 その訪問の時、神様、イエス様に対する信仰を告白しました。父もイエス様に関する信仰を告白しました。一緒に交わりをし、許し合ったのです。大抵このよ うなことはすぐにはできないのですが、この時が父と会う最後の時となったのでした。2週間後に父は心臓発作で亡くなってしまいました。わたしの友達は、天 使が父を天国に連れて行ってくれたという幻を見ました。
 家族は皆、お葬式に参列したわけですが、その時わたしは自分の信仰を告白し、双子の姉妹が救われました。後に、けんかをした兄も救いに導かれました。
 これから、妻のMとのあかしをしたいと思います。わたしは生涯、わたしと結婚してくれる人がいるとは思っていませんでした。神様は忠実なお方です。 1994年から2003年の間、伝道に熱心で、予言の賜物がある教会に通っていました。その間に妻に対する沢山の予言を戴いていましたし、伝道に関する チャレンジも受けていました。自分の性格についても神様はチャレンジをしておられました。
 予言の中で路傍伝導の活動をするようにと言っておられました。わたしにとっては、路傍伝道はこの世の中で一番したくない事でした。というのもわたしはそ の当時、とても恥ずかしがり屋だったからです。9カ月間、自分の中でずっと葛藤がありましたが、神の御意思に従いました。そして路傍伝道をするようになっ たのですが、その間に妻のMに会いました。路傍伝道の時、Mにトラクトを渡しました。その結果、彼女はクリスチャンになりました。このことは結婚するまで わたしは知りませんでした。
 2003年にお付き合いを始めて、2004年1月に婚約しました。2004年12月に結婚しました。2003年は経済的に困難な時でしたので、結婚すべ きなのかとても迷っていました。結果的には結婚しましたが、とても祝福されたものでした。その時わたしは、「結婚する事があなたの御心ならばそのようにさ せてください」と祈りました。神様の御心ならばそのようになると信じておりましたので。
 2004何1月に今の仕事に就きました。昇進できたり、Mも仕事を見つけることができ、祝福を受けています。このような事を通して、神様の用意された道を歩んでいると励まされていますし、この結婚が神様の備えてくださったものと信じています。
 結婚生活の3年間は、その前の3年間と比べると経済的にもとても恵まれています。
 2004年の12月に、実はこの向かいのクラウンプラザホテルで結婚式を挙げました。
結婚式もわたしたちの期待をはるかに超えたものでしたし、2005年1月には日本で披露宴もしました。わたしたちはとても幸せですし、日々二人の関係を深めています。
最後に、この証を聞いてくださってありがとうございます。わたしはいまだに少し恥ずかしがりですが、神様がどんなによくしてくださったかをあかしでき、感謝です。

イースターに寄せて M・K姉

 先日、従兄弟から手紙をもらいました。親戚一同の中で彼だけが私の仲間です。
 彼は、産後の肥立ちの悪い奥さんが早く健康を回復し、可愛い赤ちゃんと一緒に自分の元に帰って来るようにと心待ちにしていたのに、届いたのは離婚の申し出だったという痛ましい経験の中から、クリスチャンになりました。
 彼の近況と共に、洗礼のときの証しが同封されていましたが、その証しの中に「キリストと共に死んだものは、キリストと共に新しい命に生きるということを信じます。」と、書かれていました。
 イースターは、まさにこのことだろうと思います。
 キリストは十字架にかかって死なれましたが、3日目に復活されました。死は、キリストの命をその中に閉じ込めておく事はできませんでした。キリストの命 の力は、永遠から永遠に続くもので、死は48時間あまり必死になって何とか閉じ込めたのですが、とても太刀打ちできるものではありませんでした。
 私達の日常は、平々凡々としながらも自分の思うようにはなりません。思いがけない事が起こってきたり、何気ない人のことばに躓いたり、ささいな事から取り返しの付かない事態へと発展したり、病気になったりと悩みは尽きず、苦しみも去ることを知りません。
 岩淵まことさんは、8歳のご長女を天に送られ、その後奥様も乳がんに冒される体験をなさいました。奥様は、その後元気になられましたが、奥様ががんだと いうことが分かった時や、がんと戦っておられる時の事を、「そりゃあ、とてもショックでしたよ。妻が手術を受けるときには、これが最後かもと覚悟もしまし たし、その後の療養生活も苦しいものでしたので、どよ~んと本当に暗い気持ちになりました。」と話して下さり、又その後で、「でもイエス・キリストはその くら~い、もっとくら~い所からやって来て、私をひかりのほうへと連れて行ってくれたのです。」と、証しされました。
 岩淵さんも私の従兄弟も、キリストの死を打ち破った命を自分のものにしている人たちだと思います。
 ブルース先生は、先日のお説教の中で、「私達には毎日がイースターです。」と言われましたが、「神様、私が日々、イエス様と共に死に、イエス様と共に新しい命に生きられるようにさせて下さい。」と、祈り、そうなったと信じていきなさいと言うことだろうと思います。
 いろんなことに疲れ果てて、もうどうでもいいやなどと思うこともよくありますし、どこからも力が湧いてこない時もありますが、この兄弟たちを助けて下 さった方は、私にも働いて下さると信じます。信じて祈りながら歩み行けば、死を打ち破った命に生かされていけるのだと思います。
 このイースターの時に、イエス様が私に対してして下さった事を思い、イエス様にお従いして行こうと心新たにしたいと思います。

イースターに思う S・N姉

 何十年も前のことですが、イースターの日に洗礼を受けたので、イースターというと受洗した日の事を思い出します。
 それまではイースターのイの字も知らず、教会に行って、これが私の求めていたものだという思いだけでまもなく洗礼をうけましたが、後で教会の役員の方 に、クリスマスに受けるよりイースターに受けることの方が意義深いといわれて、そういうものかと思った事を思い出します。
 日本ではサンタクロースがプレゼントを持ってやってくる事と相まって、クリスマスがにぎやかに祝われますが、復活祭はメジャーな祭りではありません。
日本人にとっては、キリストが十字架につけられ、私たちの罪、咎のために死なれ、そして3日目によみがえられたという事が、心情的に受け入れ難いようで す。十字架に磔にされたキリストのことを、こんな残酷な死に方をするなんて。それに引き換えお釈迦様は菩提樹の木の下で安らかに亡くなられた。と話してい るのを聞いたことがありました。
 しかしクリスチャンにとっては、キリストがそのような死に方をして復活しなかったら、私たちの救いはなかったのだという、そこに信仰の基(もとい)があるのです。
 旧約の終わりのころは、神不在?の暗黒の時代だったといわれています。その暗闇の中に忍耐に忍耐を重ねた神が一筋の光として御自分の一人子イエスキリス トをこの世に送ってくれました。人々を救うために、ただ十字架にかかるために送られてきたといっても過言ではないそのことに人類の救済がありました。そし て御子を死の世界からよみがえらせ、復活するという形で、全てのことを成就してくれました。
 復活祭は年によって日にちが違いますが、イースターに入る前をレントと言います。
 日本語で受難節。灰の水曜日から数えて、日曜日を除く40日間のことを言いその次がイースターサンデーになります。特にイースターの前1週間を受難週といい、私が通っていた日本の教会では、月曜日から金曜日まで毎日そのための集会が開かれていました。
 使徒の証し、牧師のメッセージがあって、祈り会がありました。教会学校の子供たちは自分の好きな食べ物を我慢して、イエス様の苦しみを共に味わいました。
 オーストラリアの教会ではグッドフライディに礼拝があり、また48時間の断食をする人もいます。イースターの時期に売られる卵形やウサギのチョコレートやクロスバンは日本では見られなかったもので、最初は物珍しく思いました。
 イースターを迎えるころになると、自分も十字架上の主に釘を打った一人だという思いと、それにもかかわらず、全ての罪を許し、永遠の命を与えると約束し たキリストを忍ばずにいられません。また、手に釘の跡を残しながら弟子たちの中に現れたキリストをしのび、生涯の救い主と告白できることを感謝せずに入ら れません。
 今ここに生かされている恵みに感謝しながら、今年もイースターを迎えます。

イースターの証し L・E姉

 私にとって、イースターはいつも特別に意味あると時と考えています。
 調度50年前のイースターの時に、終身、私を変えてしまった劇的な経験をしました。
 少し前から私は青年部の一人として、近くの教会に出席するようになっていました。
毎年、イースターの時に、青年たちは地方の幾つかの教会、教派から青年会のために一つの教会に集まることがあったのです。このようなある集会で、50年前 に聖霊が罪を見出させて、イエス・キリストを、自分の救い主として信じ受け入れる必要があることを教えてくださいました。その夜、私はイエス・キリストを 救い主として信じ、人生を百八十度転換させられました。その結果、自分のためにではなく、救い主イエス様を喜ばせて生きようという気持ちになりました。
 罪と言うのは法律を破ることではなく、つまり悪をなすことではなく、正しいことができないということです。言い換えれば神様の儀の基準に達しないと言う意味です。人間は生まれながらに不義な者です。したがって刑罰が下ってくるのですが、これでは困ってしまいます。
 しかし、父なる神様が自分と和解をさせる大計画をお立てになりました。
 旧約聖書全体の中で、神様は救い主の約束をしてくださっています。そして、ちょうど良い時に御子イエス様をお送りくださいました。イエス様は人間の中に 住み、神の道を教えながら、病を癒したり、希望のない人々に希望をお与えになりました。最後に罪に対する支払いをして十字架で死んでくださいました。私た ちは当然受けるべき刑罰をイエス様が身代わりとして受けてくださったのです。今、私たちは、自分の罪を悔い改めて、イエス様を救い主として信じ受け入れる だけでいいのです。イエス様は死んだきりではありません。死んで葬られてその後、よみがえられました。今、天において父の御前でとりなしの祈りをしてくだ さっています。そして助け主の聖霊様を私たちにくださいました。聖霊様が私たちの内に住み、神様の道を教えて、導いてくださるのです。
 ですから、イースターのメッセージは、ウサギと卵のことではなく、神様の御子イエス・キリストの死と復活のことです。そしてそれによって、人間が神様と の和解を受けることができると言うことです。毎年クリスチャンたちはイースターを祝うことを通して、このことを記念しています。それだけではなく、信じて いる全てのクリスチャンにとってイースターは毎日生活の中で記念すべきお祝いです。毎日イエス様による救いと交わり、そして、生きるために受けている助け を感謝すべきでしょう。
 読者の皆さんが毎日の生活の中で、この救いの喜びとイースターの本当の意味が何であるかを知ることができるように、お祈りしています。

イースターについて ブルース・エドワーズ牧師

 なぜイースターを祝うのでしょうか。
 キリスト教会では四つの祭りがあります。クリスマス、イースター、ペンテコステとイエスの昇天です。イースターと言うのは、イエス・キリストの死と復活 の祭りです。「イースター」と言う言葉の由来と、この言葉をキリスト用語に取り入れられたことについての論争は、まだ続いています。
 しかし、一番大切なことは「イースター」は、常に命が死に打ち勝ったことを意味しているということです。この原理は自然界に見られます。冷たい死のよう に寒い冬の後に、新しい命が生じる春がやってきますね! キリスト教会の中にある教派では、イースターを始めどのイベントも守ってはいけないと主張してい ますが、実際、世界中のキリスト教会が祝っているので、その理由を調べてみるべきではないでしょうか。
 イースターの意味と意義を知るために、イエスの死と復活が起こった頃に生きた人たちは、どのようにそれらの出来事を見たかよく調べる必要があるでしょう。使徒の働きの書では、ペンテコステの日に使徒ペテロが、説教の中で次のような言葉を述べています。
 2章22節から24節です。
「イスラエルの人たち。この言葉を聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行われま した。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。あなたがたは、神の定めた計 画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえ らせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」
 24節の中の言葉に注目してください。「ありえない」NOT POSSIBLE.何と力強い言葉でしょう。イエスが死ぬことはありえないとは書いてあり ません。事実、イエスが十字架につけられたことは、神のご計画でした。罪から救われるようにイエス様が死ななければならなかったのです。十字架上でイエス 様が、私たちの身代わりになって罪に対する刑罰を受けてくださいました。ところが死からいつまでもつながれていることは、ありえないことでした。同様に、 イエスの復活も私たちの救いには必要でした。
 普通、「ありえない」、不可能と言う言葉は、自分より強い動力や力に降伏すると言う意味です。またある目的や計画に挫折すると言う意味です。その反対は、将来が確実になることです。
私が13歳の時に、クイーンズランド州を代表するサッカーチームを2チーム選抜したのですが、私はその一つに選ばれました。1956年にメルボルンで行われるオリンピックを前に、全国サッカー選手権に出場する予定でした。チームの名前は、一つは[possibles / ありうる]と言う名と、もう一つは[probables /ありそうな]と言う名前でした。私は、[possibles]チームに入りました。
 しかし、[possibles]と言うチームに入っただけで、クイーンズランド州のチームに選ばれる保障はありませんでした。体力とサッカーの技術をうまく利用することによってのみ、選ばれることでしょう。幸いそれは成功しました。
 ここに、イースターのメッセージとクリスチャンたちがイースターを祝う理由があるのです。
 イースターは「ありうる」ということを教えています。22節に「神はこの方のあかしをされた」とあります。これは「裏書きする、是認すると認める」と言 う意味です。イエス様は神の印が押されましたので、地上で神を代表されました。次に神はイエスを通して、自分の力あるわざを行われたと語っています。私た ちは、自分を神様にゆだねると、神は私たちを所有して私たちの内に、またたちを通して自分の力を示してくださいます。私たちを滅ぼそうとする反対の作用が 起こっても、その作用が私たちをその中にいつまでもつないで置くことは「ありえない」、不可能なのです。
 イエス様を信じ受け入れると、彼の復活の力、不可能を可能にする力を持って、私たちの内に入ってくださいます。そして神の命が宿り、人々を死の状態から神における新しい命へとよみがえらせる「ありうる」ことを知るようになるのです。

光あれ 信徒Y・U

 聖書の中で「光」という言葉は、何度も何度も繰り返し使われています。口語訳では246回、新改約では238回、新共同約では254回です。
 わたしの周りにもたくさんの光があります――。わたしが通ったキリスト教主義の幼稚園は、ひかり幼稚園という名前でしたし、わたしの甥は、クリスチャン であるわたしの姉とそのだんなに、創世記の「光あれ」にちなんで光(ひかる)という名前を付けてもらい、そして今わたしは「太陽の州」とも呼ばれるクイー ンズランド州に住んでいます。
 しかしいくら明るい環境にいても、心の中に光がなければ、気持ちは暗いままではないかと思います。聖書には「いつも感謝していなさい」とあります(コロサイ3:15)。感謝していれば気持ちも明るくなるはずです。
 明るくしていれば笑いだって生まれるはずです。諺にもあるじゃないですか。「笑う門には福来たる」って。
 光は闇よりも強いのです。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(ヨハネ1:5)
 では最後に、ひかり幼稚園のエンカ(演歌ではありません、園歌です)にもなっている子供賛美歌52番を... ♪~ひかり、ひかり、わたくしたちは、ひかりのこども、ひかりのように、(1番=あかるい、2番=げんきな、3番=ただしい)こども、いつも(1番=あかるく、2番=げんきで、3番=ただしく)、(1番=うたいましょう、2番=あそびましょう、3番=はげみましょう)~♪