イースターの証し L・E姉

 私にとって、イースターはいつも特別に意味あると時と考えています。
 調度50年前のイースターの時に、終身、私を変えてしまった劇的な経験をしました。
 少し前から私は青年部の一人として、近くの教会に出席するようになっていました。
毎年、イースターの時に、青年たちは地方の幾つかの教会、教派から青年会のために一つの教会に集まることがあったのです。このようなある集会で、50年前 に聖霊が罪を見出させて、イエス・キリストを、自分の救い主として信じ受け入れる必要があることを教えてくださいました。その夜、私はイエス・キリストを 救い主として信じ、人生を百八十度転換させられました。その結果、自分のためにではなく、救い主イエス様を喜ばせて生きようという気持ちになりました。
 罪と言うのは法律を破ることではなく、つまり悪をなすことではなく、正しいことができないということです。言い換えれば神様の儀の基準に達しないと言う意味です。人間は生まれながらに不義な者です。したがって刑罰が下ってくるのですが、これでは困ってしまいます。
 しかし、父なる神様が自分と和解をさせる大計画をお立てになりました。
 旧約聖書全体の中で、神様は救い主の約束をしてくださっています。そして、ちょうど良い時に御子イエス様をお送りくださいました。イエス様は人間の中に 住み、神の道を教えながら、病を癒したり、希望のない人々に希望をお与えになりました。最後に罪に対する支払いをして十字架で死んでくださいました。私た ちは当然受けるべき刑罰をイエス様が身代わりとして受けてくださったのです。今、私たちは、自分の罪を悔い改めて、イエス様を救い主として信じ受け入れる だけでいいのです。イエス様は死んだきりではありません。死んで葬られてその後、よみがえられました。今、天において父の御前でとりなしの祈りをしてくだ さっています。そして助け主の聖霊様を私たちにくださいました。聖霊様が私たちの内に住み、神様の道を教えて、導いてくださるのです。
 ですから、イースターのメッセージは、ウサギと卵のことではなく、神様の御子イエス・キリストの死と復活のことです。そしてそれによって、人間が神様と の和解を受けることができると言うことです。毎年クリスチャンたちはイースターを祝うことを通して、このことを記念しています。それだけではなく、信じて いる全てのクリスチャンにとってイースターは毎日生活の中で記念すべきお祝いです。毎日イエス様による救いと交わり、そして、生きるために受けている助け を感謝すべきでしょう。
 読者の皆さんが毎日の生活の中で、この救いの喜びとイースターの本当の意味が何であるかを知ることができるように、お祈りしています。