神の慈愛  by L・P(信徒) 2006年2月26日バイリンガル礼拝にて

 皆さんこんにちは。
 これからわたしのあかしをしたいと思います。
 神様がわたしたちの結婚に際しどのように祝福してくださったか、またその後どのような祝福があったかをお話しします。神様との出会いについて主に話したいと思います。
 最初に短くお祈りします。
「イエス様このあかしをあなたに捧げます。このあかしを祝福し、あかしを聞くことによって人々が祝福されるようにしてください。その結果人々が救いに導かれますように」

 あかしの最初に聖書の個所を読みます。ヨハネ3章16,17節です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」
 この聖書個所をお読みしたのは、自分がした悪い事に焦点を当てるのではなく、そのことが自分を救いに導いたということを知ってもらいたかったからです。
 わたしが子どものころは、家庭はとても困難な中にありました。わたしが5歳のとき母親は子どもを育てるのにとても苦労していました。それで母は、4人子 どもを施設において、出て行ってしまったのです。父はその後、再婚しました。その結果、家族は11人になりました。父は最初の結婚で4人の子どもをもうけ ていましたし、再婚相手の女性には2人の子どもがいました。再婚後3人の子どもが加わり、そのうちの2人は双子でした。ですが、その再婚もあまりうまくい かなくて、父は傷つき落ち込んでしまいました。その結果、父は自殺を試みましたが、幸いにも命は取り留めました。
 わたしは、1994年9月に救われました。その6ヶ月前は人生の中でとてもつらい時でした。わたしはすごく落ち込んでいたので、家族の誰とも連絡を取っ てない状態でしたし、母親に対しても、もうあなたと付き合いたくないとも言っていました。そう言うことがあったので家を出て、誰か他の人と住みたいと思っ ていました。そして、ここの近くでもありますが、フロリダガーデンにシェアーハウスを見つけました。
 そこは、何とクリスチャンだけで占められていたシェアーハウスでした。彼らは、神様の愛についてあかししてくれました。
 2,3年前に、母親がクリスチャンになっていましたが、その母と牧師さんが家族の事について祈っていました。その時母は家族の中でただ一人のクリスチャンでした。
 クリスチャンになる3日前に、2人の兄弟と従兄弟と一緒にパブに居ました。その兄弟は自分の家族の中で付き合いのある唯一の兄弟でした。その時、その兄 をからかったために殴られてしまいました。兄弟とはいい関係を保っていなかったわけですが、わたしの兄は、とても怒りやすい気質の人でしたが、5年前彼は 車の事故にあって、その結果とても暴力的な人になってしまいました。パブで兄が2回ほど殴ってきたので、鼻の骨が折れそうになってしまいました。自分を守 る為に、兄の頭をヘッドロック(頭を自分の脇に抱え込んで)しておとなしくさせなければなりませんでした。わたしの家族はクリスチャンではなく救われてい ませんでしたので、このようなことも起こったわけです。
 その後家に帰って、悲しくまた裏切られたような思いを抱きました。その夜、わたしは自分の罪を確信しました。兄とけんかをしたことで罪を確信したわけで す。罪を認めるという体験は、人生の中で初めて起こったことでした。罪を認めることは、クリスチャンや家族のものが祈ってくれたから起こるということを知 りました。
 フラットメイトの人が「教会に行かないか?」と聞いてくれたので、「ハイ行きます」と答えました。その時までのわたしの人生はとてもひどいものでしたの で、教会に行く事によって何も失うものはないと思ったからです。そのシェアーメイトたちを見ていて、その人たちの中に愛や喜びや平安があるということを感 じていました。そしてそれが自分にも必要だと感じていました。
 1カ月間彼らを見ていて、彼らが教会から帰ったきた時、いつでも喜びに満たされていると感じていました。彼らはけんかもせず仲良くやっていましたが、それはわたしにとってとても珍しいことでした。教会に行って聞いた牧師さんの話は論理にかなったものでした。
その時に神様がわたしを愛してくれて、許してくださり、わたしを受け入れてくださっていると知りました。
 聖書、ローマ人への手紙2章4節「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」
 神様は自分に対して寛容であり、またなお寛容であります。
 わたしが救われた後、神様はわたしの家族にも素早く働いてくださいました。
 次の日に自分の兄弟に連絡をとらなければならないと感じました。自分の悪かった事について許しを請いましたし、また、兄弟を許すということも言いました。
 それから、神様は、実母に連絡を取るようにと言われました。母に対しても、自分の悪かった事を謝り、また母自身も許してくれるようにと言いました。
 その時は、人を許す事は簡単にできました。それは神様が下さったものでした。許す時、自分がどれだけ神様から許されているかを考えると人も簡単に許すことができます。
 その2,3カ月後にお父さんの元を訪れなければならないと強く感じました。
 その訪問の時、神様、イエス様に対する信仰を告白しました。父もイエス様に関する信仰を告白しました。一緒に交わりをし、許し合ったのです。大抵このよ うなことはすぐにはできないのですが、この時が父と会う最後の時となったのでした。2週間後に父は心臓発作で亡くなってしまいました。わたしの友達は、天 使が父を天国に連れて行ってくれたという幻を見ました。
 家族は皆、お葬式に参列したわけですが、その時わたしは自分の信仰を告白し、双子の姉妹が救われました。後に、けんかをした兄も救いに導かれました。
 これから、妻のMとのあかしをしたいと思います。わたしは生涯、わたしと結婚してくれる人がいるとは思っていませんでした。神様は忠実なお方です。 1994年から2003年の間、伝道に熱心で、予言の賜物がある教会に通っていました。その間に妻に対する沢山の予言を戴いていましたし、伝道に関する チャレンジも受けていました。自分の性格についても神様はチャレンジをしておられました。
 予言の中で路傍伝導の活動をするようにと言っておられました。わたしにとっては、路傍伝道はこの世の中で一番したくない事でした。というのもわたしはそ の当時、とても恥ずかしがり屋だったからです。9カ月間、自分の中でずっと葛藤がありましたが、神の御意思に従いました。そして路傍伝道をするようになっ たのですが、その間に妻のMに会いました。路傍伝道の時、Mにトラクトを渡しました。その結果、彼女はクリスチャンになりました。このことは結婚するまで わたしは知りませんでした。
 2003年にお付き合いを始めて、2004年1月に婚約しました。2004年12月に結婚しました。2003年は経済的に困難な時でしたので、結婚すべ きなのかとても迷っていました。結果的には結婚しましたが、とても祝福されたものでした。その時わたしは、「結婚する事があなたの御心ならばそのようにさ せてください」と祈りました。神様の御心ならばそのようになると信じておりましたので。
 2004何1月に今の仕事に就きました。昇進できたり、Mも仕事を見つけることができ、祝福を受けています。このような事を通して、神様の用意された道を歩んでいると励まされていますし、この結婚が神様の備えてくださったものと信じています。
 結婚生活の3年間は、その前の3年間と比べると経済的にもとても恵まれています。
 2004年の12月に、実はこの向かいのクラウンプラザホテルで結婚式を挙げました。
結婚式もわたしたちの期待をはるかに超えたものでしたし、2005年1月には日本で披露宴もしました。わたしたちはとても幸せですし、日々二人の関係を深めています。
最後に、この証を聞いてくださってありがとうございます。わたしはいまだに少し恥ずかしがりですが、神様がどんなによくしてくださったかをあかしでき、感謝です。