イースターに思う S・N姉

 何十年も前のことですが、イースターの日に洗礼を受けたので、イースターというと受洗した日の事を思い出します。
 それまではイースターのイの字も知らず、教会に行って、これが私の求めていたものだという思いだけでまもなく洗礼をうけましたが、後で教会の役員の方 に、クリスマスに受けるよりイースターに受けることの方が意義深いといわれて、そういうものかと思った事を思い出します。
 日本ではサンタクロースがプレゼントを持ってやってくる事と相まって、クリスマスがにぎやかに祝われますが、復活祭はメジャーな祭りではありません。
日本人にとっては、キリストが十字架につけられ、私たちの罪、咎のために死なれ、そして3日目によみがえられたという事が、心情的に受け入れ難いようで す。十字架に磔にされたキリストのことを、こんな残酷な死に方をするなんて。それに引き換えお釈迦様は菩提樹の木の下で安らかに亡くなられた。と話してい るのを聞いたことがありました。
 しかしクリスチャンにとっては、キリストがそのような死に方をして復活しなかったら、私たちの救いはなかったのだという、そこに信仰の基(もとい)があるのです。
 旧約の終わりのころは、神不在?の暗黒の時代だったといわれています。その暗闇の中に忍耐に忍耐を重ねた神が一筋の光として御自分の一人子イエスキリス トをこの世に送ってくれました。人々を救うために、ただ十字架にかかるために送られてきたといっても過言ではないそのことに人類の救済がありました。そし て御子を死の世界からよみがえらせ、復活するという形で、全てのことを成就してくれました。
 復活祭は年によって日にちが違いますが、イースターに入る前をレントと言います。
 日本語で受難節。灰の水曜日から数えて、日曜日を除く40日間のことを言いその次がイースターサンデーになります。特にイースターの前1週間を受難週といい、私が通っていた日本の教会では、月曜日から金曜日まで毎日そのための集会が開かれていました。
 使徒の証し、牧師のメッセージがあって、祈り会がありました。教会学校の子供たちは自分の好きな食べ物を我慢して、イエス様の苦しみを共に味わいました。
 オーストラリアの教会ではグッドフライディに礼拝があり、また48時間の断食をする人もいます。イースターの時期に売られる卵形やウサギのチョコレートやクロスバンは日本では見られなかったもので、最初は物珍しく思いました。
 イースターを迎えるころになると、自分も十字架上の主に釘を打った一人だという思いと、それにもかかわらず、全ての罪を許し、永遠の命を与えると約束し たキリストを忍ばずにいられません。また、手に釘の跡を残しながら弟子たちの中に現れたキリストをしのび、生涯の救い主と告白できることを感謝せずに入ら れません。
 今ここに生かされている恵みに感謝しながら、今年もイースターを迎えます。