私は日本人の両親の元にブラジルで生まれ、育ちました。
子供のころから私は母にいつも、私の家の宗教は何か、そして神様はどこにいるのかと尋ねていました。10年間カソリックの学校に通い、イエスキリストのこと、マリア様のことを学んでいたので、神や宗教のことについてとても興味があったのです。
私の家族には特別な宗教がなかったので、私は多くの友達が信じているカソリックを信じたいと思うようになりましたが、母は"あえて特別な宗教を信じる必 要はないよ。なぜならどんな宗教も歩む道は違うかもしれないが、頂上にたどりつけば同じ神様を見つけられるのだから。"と言うばかりでした。
16才のとき友人からキャンプに誘われました。
テントの中で眠り、サッカー、BBQ、ブッシュウォーク、かわいい女の子とも知り合えると聞き、なんて楽しそうなのかと思い両親に許可をもらい参加しました。
しかしそれはプロテスタントのクリスチャンのキャンプであり、私はほとんどの時間を聖書の勉強と、クリスチャンソングを歌って過ごしたのです。(もちろ ん友人はこの事を知っていました。)しかし私はこのとき、私たちの罪をあがなうためにイエス様がこの世に来てくださり、私が心を開けばイエス様が自分と共 にいてくださると強く感じることができたのです。しかしまだ楽しむことが優先で100%クリスチャンとして生きたわけではありませんでした。
私は17才になって洗礼を受けましたが、イエスキリストを受け入れてからずっと心の中に苛立ちを抱えていました。それは自分の性格と信仰の弱さが原因だと思っていました。
一人でじっくりと考えたくて、3ヶ月ほど人を避けて農場の中にある全寮制の学校の宿舎に入り、神に"私は何をしたらいいのか?どうするべきなのか?"と問いかけました。
クリスチャンであるのなら天使のように聖くなければならないのに、自分はまだなれない。いつなれるのだ。という思いに苦しみ、そしてもっと強く神の臨在を感じたいと求めましたが結局私は確かな答えが見つけられませんでした。
そして19才のとき希望と冒険心を抱いて日本に移り住むことにしました。
日本に行ってからも日系クリスチャン教会で、ポルトガル語での礼拝を受けていましたが、ある時ブラジルに一時帰国したとき、ホーリネス教会の少年グルー プのリーダーに、自分の悩みや葛藤(かっとう)を話すと、彼は一度神から完全に離れて生活をしてみるのもいいかもしれない。そのとき本当の神のすばらしさ に気づくかもしれない。と、言ったのです。
そのことが頭からはなれず、しばらくして私は神から離れました。
約10年間私は神から離れていましたが、その間よくない出来事が何度もありました。
2度も警察の記録に残り、私は落ちに落ちていきました。
私はやはり自分の生き方は間違っていると思い、1年間オーストラリアで過ごした後、ブラジルに帰り再び神と共に生きようと決めました。
しかし神はすでにプランを用意しておられました。
神は私に自分の罪を全て見せ、残りの日本での生活を変えてしまいました。
私はそうしてもらわなければ本当に自分の罪が見えなかったのです。
オーストラリアに渡る9ヶ月前、32才の私は、まず水疱瘡にかかり大変な思いをしました。
飲酒で運転免許を失いました。
汚いお金をくだらないことに使い失いました。
社長と個人的な問題を起こして職を失いました。
彼らは私をつぶそうとし私の車はつぶされました。
ほかにも恥ずべきことが、3ヶ月にわたり集中して次々に起こりました。
神はこの私の厚く汚れた罪を、鉄のスポンジで洗い流そうとしてくださっているのだと思いました。
私は神の前に再び悔い改めたいと思いましたが、こんな自分を神は赦してくれるのかとても不安でした。何度も何度も教会の前まで行き、中に入れないで家に帰る日が続きました。
ある日私は彼の家に戻りました。新城のある教会に通い始め、主との交わりを再び持つことができたのです。それは本当に喜びでありました。神は私を受け入れてくれたのです。
それから熱心に教会に通いました。
私はこの大変な時期を与えてくださった神に心から感謝しています。
私は若いころクリスチャンになりましたが、15年以上かけて本当のクリスチャンとは何かを知ることができました。
もちろんまだ氷山の一角ほどしか理解はしていませんが、神の偉大さについて語ることはできます。この私の経験はあなたに置き換えることはできませんが、あなたにはあなたの人生の中で神のすばらしさを知ることができると信じています。
"人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。" マタイの福音書16章26節
"もしあなた方が心を尽くしてわたしを捜し求めるなら私を見つけるだろう。"エレミア書29章13節
"あなたがたのうちによい働きを始められた方は、キリスト イエスの日がくるまでにそれを完成させてくださる事を私は固く信じているのです。"ピリピ人への手紙1章6節