2005年7月 Y・T姉のあかし

私が洗礼を受けましたのは、小学校に入る前のことでした。それは自分の気持ちで洗礼を受けたのではなく、私の父がそういう気持ちになったから、なのです。

私の父は、学生時代から「外国に行って世界中をまわりたい」というのが夢でした。父は、会社員として神戸に住んでいたのですが、外国に行くには英会話がで きなければならないということで、友達から、近所にある下山手教会という所で、イギリス人の先生が英語を教えてくださる、それもただで教えてくださる、と の話を聞きました。そこで父は教会に出かけて、英会話教室に行ってみましたら、来ている方たちのほとんどがイギリス人で、英語で聖書のお話をする教室だっ たらしいのです。初めは父も戸惑ったらしいのですが、聞いているうちに、先生の上手なお話に魅せられていきました。そして聖書を英語で学んでいるうちに、 日本語の教会に行った方がいい、家族も連れていった方がいい、ということになり、母とまだ小学校に行く前だった私を連れて、下山手教会の礼拝に出席するよ うになりました。そして教会に行っているうちに、導かれ、クリスチャンになって、洗礼を受けることになったのでした。これが父の大切にしていた聖書で、こ こに父のサインがあり、February, 14, 1926と書いてあります。つまり父と私たちは1926年2月14日に洗礼を受けました。これはその日の日付です。ですから今から約80年近く前の話にな ります。それから父は教会でのお話に満たされて、ずっと教会に行くようになりました。母も少しずつ導かれていくようになりました。

その頃の牧師先生は日野原善輔先生という、「日本の七人の名説教の一人」と言われた方でした。その息子さんが聖路加病院の院長先生をしていらっしゃった日 野原重明さんで、本当に素晴らしい方なのですが、当時、私も子どもでしたので、「日野原のお兄ちゃん、お兄ちゃん」と言ってよく可愛がって遊んでもらって いました。そしてその日野原先生が、今度は広島の流川教会というところに呼ばれてそちらに行かれました。不思議なことにその流川教会には、私の主人の母や 子どもたちが通っており、日野原先生に洗礼を受けたりしました。

父は世界を見たいという望みをいつも神様にお祈りしていましたら、それがかなう日がやってきました。一年間かけて、昭和12年でしたでしょうか、世界一周 しました。お砂糖の会社に勤めていまして、今、皆さんが食べているグラニュー糖の作り方を発明したものですから、会社から「重役にして家族が一生暮らして いけるだけのお金をあげよう」と言われたのですが、父は、重役になんかなりたくない、今のままの工場長でいいが、一年間の有給休暇をもらって世界一周をし たい、とお願いしたのでした。そういうことで世界を一周して、いろいろなところの教会をまわってそして礼拝に出て、さまざまな恵みを得て一年して帰ってき ました。

そしていろいろなことがありましたが、私は結婚して広島に行き、父と母は東京で銀座教会に行っておりました。私どもが東京に戻った時、父は病気で、腸のガ ンだったのですが、もう幾らも生きられないと自分で思ったのでしょう。私の娘がその時小学校一年生でしたけれども、私と母とを枕もとに呼んで、「聖書を開 きなさい」と言って、コリント前書の13章4節「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕(たかぶ)らず、非禮を行はず、己の利を求めず、憤 ほらず、人の惡を念はず、不義を喜ばすして、眞理の喜ぶところを喜び、凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。愛は長久(い つ)までも絶ゆることなし。」ここの所は赤く線が引いてありますけれども、「このみことばをいつも心に入れてそして暮らすんだよ」というのが父の最期の言 葉でした。

私は本当のそのみことばをいつも心に入れておりますけど、私のような者でも神様は捕まえていてくださって、そして結婚して広島に行って、あの恐ろしい原爆 の時も一家が助かりましたのは、神様のお恵みで、本当に神様を信じてよかったと思います。主人の母もとても信仰深い人で、瓦礫(がれき)の下敷きになって も神様が助け出してくださいました。

私は、今まで数知れない神様のお救いをいただいて、この85歳まで生きてくることができました。皆さんも本当に神様に祈って、困った時は「神様、お願いし ます」と、そしてかなえられた時は「ありがとうございます」と言って、毎日を心明るく過ごしたら、いい人生になると思います。