2005年8月 S・N姉

わたしが初めてキリスト教に触れたのは、小学校のころ通っていた日曜学校です。もう50年以上も前のことですが、秋田市のわたしの実家の近くにカト リックのミッションスクールができました。短期大学、付属高校、付属中学、付属幼稚園とあって、妹と弟がそこの幼稚園に通っていた関係からか、時々そこに 遊びに行くようになり、先生に誘われて、日曜学校に行くようになったのではなかったかと思います。

ちなみにわたしの実家は典型的な日本人家庭で、元日には神社に初詣に、お盆にはお寺に墓参りに行っておりました。その上、商売をやっていましたの で、茶の間には神棚があり、朝起きると神棚を拝んでから朝ご飯を食べる、という習慣になっていました。物心つくころからわたしたちきょうだいは両親に言わ れて毎朝、神棚を拝んでいましたが、わたしは日曜学校でイエス様の話を聞いているうちに、家の神棚には何があるのだろう、本当に神様が上っているのだろう か、という疑問がわいてきて、ある時から神棚は拝まなくなりました。

日曜学校はとても楽しいものでした。カトリックですから、シスターと呼ばれている先生たちは黒いガウンのようなものを着て、とても優しかったので す。たまに子どもたちを校内にある礼拝に連れて行ってくれましたが、そこはちょっと薄暗く厳粛な感じのするところでした。日曜学校にはしばらく通いました が、小学校も高学年になり、用事ができたり、友達と遊ぶのに忙しくなって、自然と足は遠のいてしまいました。

そうして10年近くの月日が流れ、20歳の時、わたしは卒業した学校に残って、助手兼事務員として働いていました。20代というのは若さと希望に満 ちた年代ですが、逆にこれからの自分の人生をどのようにして生きていったらよいのかという悩みの年代でもあります。わたしの場合は仕事の悩みとそれに恋愛 の悩みが重なって、うつうつとした日々を過ごしていました。そうしたある日わたしは「そうだ、教会に行こう」と思いました。日曜学校のころの神様に見守ら れている気持ちを思い出し、また教会に行けば良い解決の道が示されるかもしれない、という思いがあったのだと思います。

それである時、休み時間に事務室の隣の机に座っていた先生に、「先生、わたし、教会に行きたいのですが、この辺りに教会があるか知っていますか?」 と聞きました。そうしたらその先生は、何と、「わたし、教会に行っているのよ、じゃあ、今度の日曜日に一緒に行きましょう」と言ってくれたのです。今思う と、神様は何とよく時にかなった備えをしてくれていたのだろうかと思います。

次の日曜日に連れて行ってくれたところは、家から歩いて7、8分ほどのプロテスタントの教会でした。そして初めて大人の礼拝に出た時には、なぜかと ても懐かしく、わたしの居る場所がここにあるという思いがしました。わたしを教会に連れて行ってくれた先生は、いろいろなことを教えてくれましたし、青年 会はとても活発で、すぐ仲間に入れてくれて、こうしてわたしの教会生活が始まりました。

仕事上の悩みは1年でそこの学校を辞めることでけりがつき、恋愛も失恋に終わって、しばらく落ち込む日が続きましたが、これらのことが教会に足を運ぶきっかけになったのですから今にして思うと大いなる恵みだったのかもしれません。

洗礼を受けることについては、何となく恐れ多くて口には出せないでおりましたら、ある日牧師先生が「そろそろ洗礼を受けませんか」と言ってくれてお願いすることができました。22歳になって間もなくのイースターの時でした。

今、振り返ってみると、聖書の中のこのみことばに心動かされたとか、お説教のあの部分が受洗を決意させた、という決定的なおのはありませんでした。 最初に洗礼ありきだったような気がします。お恥ずかしい話ですが、キリストの十字架のあがないの本当の意味を知ったのはずっと後のことですし、新約聖書は 持っていましたが、旧新約聖書を買って創世記から読み始めたのは、何と、受洗後、20年もたってからです。

霊の目が開かれたのは、またさらに後のことで、歩みの遅いわたしは、神様の目には歯がゆく映っているかもしれません。でも神様は忍耐のお方ですから、粘り強く訓練し、また試練に耐える力を少しずつ与えてくれていることを思い、感謝しています。

詩篇119篇105節に「あなたのみことばは、わたしの光、わたしの歩みを照らすともしび」とあります。この光とともしびがある限り、主の備えてくれている道を逸れることなく進めると確信しています。