2005年6月 S・S姉のあかし

私は東京都清瀬市に生まれ、約2歳から4歳まで父の仕事の関係上家族でアメリカのカリフォルニア州に住んでいました。その時、父が私達家族を教会に連れて行き、幼かったので全く覚えてはいませんが、それが初めての教会出席だったと思います。

日本に帰国し、昭島市に住むようになり何年か経ちました。姉が小学校の同級生に誘われ近所のとても小さな教会に行くようになり、私が小学校1年生く らいの時に姉に連れられて日曜学校に通うようになりました。それから母もその教会に通うようになりました。姉は何年も毎週熱心に通っていたのですが、私は 小学校3年生くらいになってからはお友達に日曜日に誘われると、遊びに行ってしまう程度の信仰でした。でも幼心にもイエス様を神様だと信じていて、何かお 願い事がある時など、なんとなくお祈りをしていた記憶があります。

小学校5年生の時に八王子市に引越し、私も母も教会から、しばらく離れていました。
ただ時々、昭島の教会の牧師夫妻がわざわざ私達の為に聖書のお話やお祈りをする為に来て下さっておりました。(姉だけは、昭島市のミッションスクールに引 き続き通っていたので学校で毎週礼拝はしていたと思います。)これも神様のお導きだと思いますが、母の職場の同僚の人がクリスチャンで私達の家の近くの教 会に通っていることを知り、また私が中学1年生の後半から母、姉、私の3人で毎週教会に通うようになりました。

私は引き続き母と姉に連れられ、中学、高校生になっても習慣のように教会に通っていました。神様は信じていて、自分が必要の時にはお祈りはしていた のですが、洗礼を受ける決心はつきませんでした。特別礼拝などの時に、牧師先生が「神様を自分の救い主として信じ、洗礼を受けたいと思う人は、手を上げて 下さい。私が、あなたの為に祈りますから。」とおっしゃるのですが、何度も何度もいろいろな機会にチャレンジを受けたのですが、いつも私の心の中では「イ エス様、私はあなたを信じていますが手を上げられません…。」というふうにどうしても手が上げられませんでした。

しばらくそんな状態が続き私は高校3年生になりました。

ある土曜日の昼、私の部屋のベッドに姉と2人で寝そべっておしゃべりをしていた時に、何を話していたのか覚えてはいませんが、イエス様が私の罪の身 代わりとなって十字架に架かって死んで下さったこと、また以前から神様が存在するというのは頭では分かっていたのですが、本当に心に強く迫ってくるような 実感が与えられ、洗礼を受ける決心というか、背中から押されるような感じで洗礼へと導かれていきました。その次の日の礼拝でまたいつものように牧師先生が 「イエス・キリストを自分の救い主として信じ、洗礼を受けたいと思う人は、手を上げて下さい。私が、あなたの為に祈りますから。」とおっしゃった時に、私 は素直に手を上げられました。牧師先生に祈って頂いた後、しばらく講談の前で、自分一人で祈っていた時、

詩篇121編5節~8節(口語訳聖書):主はあなたを守ってすべての災を免れさせ、また、あなたの命を守られる。主は今からとこしえに至るまであなたの出ると入るとを、守られるであろう。

というみことばが強く心に迫って来て、私はイエス様に本当に守られているという確信と平安で心が一杯になり、しばらくの間、嬉しさで涙が溢れ出できてそのまま祈り続けていました。

そして、私はその年のイースターに洗礼を受けました。

私の救いの為に、姉、母また教会の牧師先生など、何年も祈り続けて下さり洗礼を受けることができ本当に感謝しております。

振り返ってみると、もし父がアメリカに転勤にならなければ、教会に行くというきっかけもなかったでしょうし、母が職場でクリスチャンの人と出会わな ければ、そのまま教会から離れていたかもしれません。神様がこんな小さな私を選んで、何年もずっと導いて下さり、救われたのだなと本当に感謝しておりま す。